2006年03月23日

vol.19 宮川泰さん

2006年3月21日
日本中が「王ジャパン世界一!」でわき立っている中、
日本歌謡界をささえてこられた
作・編曲家 宮川泰先生が亡くなられました。


私との接点は、私がディレクターをやっていた時代、
テレビのお笑い番組(みごろ!たべごろ!笑いごろ!)の
「デンセンマン音頭」のLPレコード制作でした。


私は、まだ東京のことは何もわからず、
住所を見て宮川先生の仕事場へうかがったのでした。


ピンポ〜ン…


ドアのベルを鳴らすと、そこに出てこられたのは宮川先生。
シャツにステテコ姿で。
私を迎えてくださった気さくな先生の口から出てきた言葉は、


「今日の打ち合わせ、なくなったよ。連絡なかった?」


当時、携帯電話なんかなかったのでした。


「まあ、上がって行きなさい。」


ドキドキしながらお茶をよばれていると、


「君、大阪弁やなぁ」
「僕も大阪におったんやで。」

と気さくにお話してくださって、


「はな、家まで送ってったるからチョット待ちや。」


チョット待っていると、男の人がやってきて。


「あのな、彼、杉並やねんけど、
 東京グルッとドライブして送ったってくれ。」


「じゃ!スタジオで。」


あのファンキーな宮川先生は今ごろ天国で、
渡辺晋さんとまたバンドをやっておられるんでしょうね。

chi-B&masta.Gの音楽を、ぜひ聞いて欲しかったです。



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vol.18 ボビー原さん、葛井寺の音楽会

<2006年01月28日の記事の転載です>

1月21日、
「観音さん 葛井寺の音楽会」にて、
久しぶりに森 俊樹さん(ギタリスト・ボーカル)に会いました。

リハーサル後、彼と話をしていてビックリしました。。。

関西を代表するオルガン奏者 ボビー原さんが、
去年11月に他界されたと聞きました。

ボビーさんには、
僕がライヴ・ハウスBAGUSをやっていたとき、大変助けていただきました。
1970年代、スターキングデリシャスに僕が参加していた頃からの知り合いで、
あんなにハッピーでファンキーな人は、
チローさん(今は亡きスタキンのドラム)を除いて他に
肩を並べる人が居ないのではないか、と思うほどです。
僕たちは、そのファンキーさを勉強させてもらったものです。

その日、僕はハンドドラム(コンガやボンゴやジャンベ)などを
演奏するということで、故 砂川正和、そして、
ボビー原さん、チローさん、父 辻川元春、伯母 松永量子さん、
祖母 辻川カノ、など、僕の心の中に居る亡くなった人々に、
心を込めて演奏することに決めたのでした。

前売りチケットはなんと5枚しか売れてなくて、
どうなることかと思っていたのですが、しかし、蓋を開けてみると、
次から次から人々が集まってくださり、なんと会場に入りきれないほど。
立ち見のお客さんがいっぱい。若い人たちからお年寄りまでがいっぱい。
こんなLIVEはじめて。会場は熱気でムンムン。

寒い中、わざわざ集まって下さった皆様、
本当にありがとうございました。
楽しんでくださった皆様のホットな心は、音楽に乗って、
きっと天国の大好きな人たちに届いていたことでしょう。

葛井寺の千手観音さんも1500年の歴史の中でもないほどの大あわて?

今年も、皆様にとって楽しいことがいっぱいある、
しあわせな一年でありますように。

みなみなさま、くれぐれもお身体大切に。
ご自愛くださいますよう。

合掌。


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vol.17 もの心ついた時には

<2005年07月08日の記事の転載です>

もの心ついた時には、
さぼることと 音楽することしか
考えてなかった。

今も ずっとずっと音楽することしか考えてない。

だれと どこで 何をするかが
アンサンブルや。
アレンジかもしれない。

音楽は 心がそのまま その人なりに
出るもんで なかなか楽しい。

心と体にしみこむ音楽がある。
人生を変えてしまうような音楽であり、
人である。

僕は 黒人、アフリカンアメリカンの
リズムにはまったのでした。

中学生の頃 運動会がイヤで
吹奏楽部に入った。

水泳大会も パッパラパー〜

朝礼サボって 屋上でパッパラパー〜

家に帰っても 工場でパッパラパー〜

そのころ思った

僕は音楽を仕事にしようと。

決めたような気がします。

第2期"JAZZとの出会い" につづく。(予定)
    肥後橋フェスティバルホール
    心斎橋デューク

『またおもしろくなるよ!』


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vol.16 無題

<2005年07月02日の記事の転載です>

つみ重ねた時が 今、

ここにある。

つみ重ねた夢が 今、

目の前で 色になり

形になり 現実として

私と 同居していることに 気づく。


つみ重ねた時が 今、

ここにある 我にある。

遠く はなれた あの人も

つみ重ねた時が 今、 そこにある。


笑顔 忘れぬようにと 幸、祈る。

にくしみ合って 殺さぬようにと


血で花はさかず 水で花はさく

血で子は育たず ちちで育つ

血は子へと 命つなぐもんである。


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vol.15 ひとつの地球

<2005年05月03日の記事からの転載です>

平和ということを、
ミュージシャン・バンドマンという立場から考えた時、
一体何が出来るのでしょうか?

音楽は、コミュニケーションのひとつの方法でもあります。
世界の人々と手を組んで、
ひとつの音楽を創造・クリエイトしていくことが、
この21世紀、IT時代における音楽家としてのひとつの目的でもあり、
テーマでもあります。
音楽をクリエイトする行為そのものが、
平和への道につながる力になればとも思います。

昔には考えられなかったことですが、
コンピューター・インターネットの力により、
海を越え離れた人々と手をつなぐことが出来ます。
J-POPとかいって、いつまでも
世界に発信できないコンプレックスな日本の音楽シーンを
変えるべき時代に入っているのです。

ひとつの地球と言う自然の姿が、
ひとりひとりの心の中にしっかりと音楽を通して
イメージされることが、平和への第一歩でもあるように思われます。
インターネット・コンピューターという
バーチャルな世界にまどわされる事なく…。


P.S.,

初めて見た芸能人は「平和ラッパ」やった。。。関係ないか!?



<chi-Bからの追記> 

http://www.queenbmusic.comでは、
新しくMusic2というページを追加しました。
ここでは、世界のミュージシャン達と作る音楽を紹介していきます。

まず、第一弾はクリーヴランド・オハイオ在住の
MC、Verbal Weponと作った「金色の月 remix」をお楽しみください。
これからも様々な国や地域のミュージシャンと
音楽作りをしていきますので、お楽しみに。

また、米国セントルイスから発信されるネットラジオ、
「The WAVE」と「WCH radio」の両局で、
chi-B&masta.Gの
「着信拒否(英語タイトルはCall Denied)」
「I SING / 生きるすべ」が放送されています。

私達のサイトのHOMEのページからLINKしていますので、
どうぞ聴いてみてください。
プレイヤーをダウンロードする必要があります。
それもラジオ局のサイトで出来るようになっています。
(英語サイトです)

NellyやMary J.BligeやChingyなど、
素晴らしいアーティストと共にプレイリストに載っています。
Please check it out!!


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vol.14 いい箱がなくなったなぁ

<2005年02月22日の記事からの転載です>

(この回は堺FUZZのLIVE用に作った
 Tha B&G Newsの文章を掲載しています。)

「いい箱がなくなったなぁ」

箱といっても、ライブハウスなどのことですが。
昔は「バーボンハウス」とか、JAZZクラブ「デューク」とか、
いい所があったけどな。

その昔、僕が店をやりかけた時は、
電話帳にもライブハウスというもんは無かったんやで。
電話局に言うて作らせたのん、実はこのワシや!

言うても、人間関係のもつれや不景気で店をつぶしてしまい、
BANDもつぶしてしまい、今はchi-B&masta.Gのユニット一本。
お陰さまで『着信拒否』のCDもできたのでした。

…マサジです…

話を元に戻しましょう。

ライブハウスといえば、京都「拾得」であります。
ここは日本を代表する老舗です。
オーナーのテリーさん自身も歌を歌い、
そら〜長〜くやってるいい店で、京都に行ったらぜひ行くこと。

大阪では、この間、韻シストのイベント"ネバフ"に出してもらった
大阪梅田の「レインドッグズ」もいい。
他はなんかみんなレンタルホール屋さんになってもうて面白くない。

そしてこの堺「FUZZ」はどんな空間をクリエイトしてくれるのか。
これからが楽しみであります。

良いも悪いも、マスターキーを握っているのは、
コレを読んでいるあなたです。

chi-B&masta.Gそして堺FUZZ、

そして一番大切なマスターキーの持ち主のあなた、
どうぞこれからもえらくよろしくお願いね。

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2006年03月22日

vol.13 肥後橋フェスティバル・ホール

<2005年02月03日の記事の転載です>

「大阪市西区江戸堀、僕の育った所」
 〜1954年生まれ=昭和29年生まれ〜

肥後橋の橋を渡ると目の前に広がる
何やわからんツルみたいなタイルの壁画。
そしてそこがフェスティバルホール。

あの赤じゅうたん。広いステージにボックス席。
二階もあってゴージャスなホールでの演奏。

『ポインターシスターズ』の前座のときでした。
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彼らのゆとりある、ルーズな、でありながらタイトな…
何を言ってるかわからんと思うけど、
そのSoulfulな演奏は、
音色から、音圧から、バランスから、何もかも、違う音やった。
PAまで違った。

強力うれしかった!

演奏の仕方がわかったような気がした。

とりあえずは音色、これがソウルに繋がる。

そしてダンス。


※よう中井さん、こんな仕事取って来てくれたこっちゃ!感謝。

<参 照>
     The Pointer Sisters official website
     http://www.thepointersistersfans.com/


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vol.12 韻シスト、AFRA

<2004年11月25日の記事からの転載です>

韻シスト、AFRA、あたりめとの出会い。
本当のCREW(クルー)と呼ばれるのは奥が深い。
AFRAと初めて会ったのが、The Rootsの初来日のLIVEの時でした。


「アフラー!」

「え?アブラー?」

「アフラー!」

「アブラー?」

「OK!」


から始まり、彼がアメリカへ行くとのことで、
今は無きLIVEハウスBAGUSでイベントを3〜4回やったように思います。
96年〜97年のように記憶しています。


AFRAがアメリカに行った後も、韻シストには僕のイベントに出演してもらって
(その時はあたりめシマップ君は、なんと韻シストのギタリストであった)
彼らのことを、こう云って紹介した。


「これからの日本の音楽を変えていく若い彼らの音楽を
 よう聞いたってくれ!」「韻シスト!!」

こういうて始めたもんや。

AFRAとしゅうちゃんとは、何回かリハーサルしてたけど、
いつの間にか終わってしまい、僕もアメリカに行ったり来たりして、
自分のバンドを作っては壊し、今に至る間に、
AFRAも韻シストもあたりめも、どんどんと活動し、
今や彼らGOOD HELPにより
今回のネバフのイベントに出演させてもらうことになり、
大変うれしく思っています。

サッコンや、バシ君、林君も昔から変わりなく、
他のメンバーとも仲良くさせてもらい、
50歳になったこんなオッサンと遊んでくれて(play)ホンマおおきに。
これからも日本中、いや世界中で音楽しましょう。
アメリカ本土でもPLAYしに行こうや。大きく変わると思うよ。

これを読んでいる皆様方へのお願い。

韻シスト、AFRA、あたりめ、
そして私たちQueenB&masta.Gの曲へのリクエスト・FAX等を
FM局に送ってください。
あなたたち一人一人のGOOD HELPが必要だということです。
どうぞヨロシクお願いします。

ps,
70年代、masta.Gはスターキングデリシャスという
幻のR&Bグループにいました。
その時のプロデューサー中井猛さんが、
彼らとかかわっていたり奥が深い、ということでした。

しっかりと盛り上げていこうぜ〜〜〜!

masta.G、50の遠吠えでした。



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vol.11 故 渡辺晋氏

<2004年11月13日の記事からの転載です>

日本の音楽界、芸能界のドン、渡辺プロダクションの社長、

故 渡辺晋さんにお会いした時の、僕にとってはドキドキの感動のお話です。


以前にもご紹介したプロデューサー中井猛さん
(現スペースシャワーTVのボス。
当時、渡辺プロダクションNON STOPレーベルのボス)

の下で仕事をやらせてもらっていた頃の話です。


そのころ渡辺プロダクション及びワーナーパイオニア社長であった

渡辺晋さんとの面会でありました。

10分たらずだったように思います。



渡辺氏 「君は中井猛の仕事をしてるのですね。」

僕 「はい。」

渡辺氏 「君はスターキングデリシャスでは何をやっていたんだ?」

僕 「トランペットを吹いていました。」

僕 「社長はベースをやっておられたんですよね!」

…思わず言ってしまった。

渡辺氏 「知っとるのかね?!」



その時のあの笑顔での対応は、本当にうれしそうで、

その瞬間、僕は「この人は仲間や!」と思った。

レコード会社でディレクターをやってる人々は

僕の思っているそれではなかった。



僕 「社長がベース弾いておられるのん私TVで見たことがあります。
   ウッドベースくるくる回しながら弾いておられたの見ました。」

渡辺氏 「おー、そーかー」


もうその時は、おじいちゃんと孫の会話のようでした。

こわもての顔からは想像もつかないような、

ニコニコとしたホッとした時間が流れた。

渡辺氏 「あー、それと、大塚まさじは君の仕事か?」

僕 「はい、僕はジャケットの色チェックだけですけど、かんでます。
   『風が吹いていた』というアルバムです。」

渡辺氏 「あれは日本のジャズだね。
     あんな歌が日本でどんどん広がるように頑張ってください。」


あ〜この人は、やっぱり本当に音楽が好きで、

すべて音をチェックされてる人。

やっぱりホンマモンの人でした。

その元で仕事をされていた人々は、みんなすごい人が多く居られました。

渡辺プロダクション出身のプロデューサーの人たちが、

今も中井猛さんのようにすごいのです。



すごい人といえば、大阪の安部登さんです。

「春一番コンサート」とか、ず〜っとやってる人です。

この辺の人々には僕らは太刀打ちできません。

そんな力強い人々のお陰で、今も僕は音楽に狂っていられるのです。



次回は前にもチラっと出てきたかどうか、若い人。

韻シスト、とAFRAのお話です。お楽しみに。





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vol.10 砂川正和

<2004年10月21日のmasta.G talksからの転載です。>


日本列島をムチャクチャにした台風23号。

21日、今日はカラッとした「砂川正和の笑顔」のような日差し。

彼のエネルギーと、やさしい感性と、こまかい気の使いよう。

まじめで熱い彼の音楽に対する姿は、

QueenB(現chi-B)とmasta.G(僕)の、ある意味、

師匠といえる存在でありました。



もう何年も前の、クリスマスの日でした。

それは大阪梅田、バーボンハウスでの出来事。

ソーバッドーレビューや、憂歌団やら、

スターキングデリシャスやら出演してのクリスマスパーティーライブ。

エライ盛り上がりのソーバッドレビューのステージで、

彼(砂川正和)は、ステージの床にひざまずき、

泣きながら床を叩き、叫んでいた。

手つけられへん子供のように。


「俺の声はちっちゃいんや!!ギターやベースやドラムに負けよる!!」

その肩に手をやる石田長生。



このバンドは、熱くて、優しくて、マジメなバンドやなあ。

そしてあの砂川正和という人間はそれだけで、

あつい、僕らの好きな、R&BやSOULのハートビート、グルーヴ、

それであった。

日本一好きなバンドボーカリスト砂川正和氏であった。



数年後、大晦日の京都、拾得でのイベントで、

彼のバックでPlayした時、彼の声と混じった瞬間、

僕はトリハダもんでした。そしてまた数年後、



写真家の糸川さんと一緒に、

堺のライヴハウスFUZZでの僕らのLIVEを見に来てくれて、ビックリでした。

熱く握手しながら、彼がこう言ってくれました。


「やっぱりDivine Loveやなあ。QueenBしっかり育てたってや。」


と彼らしい言葉は今も心にとめています。

その後彼からのイベントのお知らせの手紙やらをもらってから、

彼が大阪に来てLIVEをしたときはQueenBとともに見に行きました。



砂川正和さん、エネルギーくれてありがとう。

「青っぱな小僧♪〜オマエは〜」

あの歌は、砂川正和さんそのものやったような気がします。





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