2012年07月10日

masta.Gのレコーディング・ディレクター物語(4)音楽づくり、今・昔


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(4)音楽づくり、今・昔

いつの間にか僕は、ディレクターとしてスタジオ・ワークの便利屋になっていたように思います。上司から頼まれた仕事は、すべてやってのけた。名前がクレジットされたのは、ほとんど無かったけれど、4、5本の仕事を同時に行なった。睡眠時間は、一日3〜4時間。契約ディレクター、6万5千円の手取りでは、生活なんかできず、残業、休日出勤、スタジオからスタジオ。土地勘のない僕は、自分がどこにいるのか、もうわからなかった。

スタジオ・ワークで一番大切なのは、エンジニアとのコンビネーション。時間内で、いかにアーティストを頂点に持っていくか。

音楽の作り方は変わった。いいのか?悪いのか?当時の歌謡曲の作り方はこうだった…女性週刊誌、ファッション雑誌(この頃はAnAn、Non-No、ポパイ等)に載っている悩みの相談コーナーにも目を通す。女性の悩み相談の手紙には、おいしいフレーズがよくある。漠然と、そんな中からテーマを決める。そんなテーマやストーリーを、作詞家に依頼する。3〜4日で作詞が上がってくる。2〜3パターンの詞を作曲家に渡す。また、2〜3パターンの曲が上がる。手直しをして、まとめあげる。デモテープをつくる。しかし、いい曲、いいスタジオ・ワークをしても、売れることはない。売れる、売れないは、プロダクション、レコード会社が、力と金をかけるか。初版、イニシャルを多くあげることに尽きる。ばくちの世界です。どれだけ金をかけさせるかが、ディレクターの仕事の第一だったのです。金をかけて、枚数が増えると、会社の人間は、イヤでも動くわけで、世の中に出回ると、売れるわけなのです。日本の芸能界は、ばくち打ちが基本にあった。

その後、フォーク・ソングや、YAMAHAポプコン等によって、シンガー・ソングライターと呼ばれる制作費のあまりかからん、業界にとっては安上がりの時代が来るとともに、素人の音楽に光があたるようになる。いいのか?悪いのか?この流れは、今も続いていて、若者たちだけの音楽が主流になるのです。若者たちは、有名になりたいとか、売れたいとか。まやかし音楽が増えるのである。ディレクターとは、本来、作品づくりに力を注がないといけない。勉強して、ルーツを探るべく、世界中の音楽を聴きまくって、世界とつながらないとあかんのですが、日本の業界、音楽、人間は、これから先、ますますダメになるんやと思います。新しい道は、マイルスが示したように、ヒップホップ、ジャズ、アナログとデジタルの融合にあります。生き残るには、ミュージシャンが巧くなるしかないのです。ミュージシャンのスキルを上げることです。田舎者の業界東京人、レコード会社、ラジオ・テレビ局、みんなもう、潰れてると思っています。そして、1日も早く、若者たちは、その世界に見切りをつけて、アーティスト自身、オーディエンス自身が気づき、本当の音楽の心とビートが、身体から湧き上がるのを期待しております。

(つづく)

「辻川君、松山に行ってくれる!」松山千春??イヤ、四国の松山でした。

…♂…
posted by masta.G at 03:04| 大阪 ☁| Comment(0) | ディレクター物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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