2012年10月02日

坂本龍一さん、Ba・Le・Roを聴く♪


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Radio Sakamotoのオーディション優秀作品として、私たちの作品『Ba・Le・Ro』がJ-WAVEで放送されました。これで12回目となりました。ありがとうございます。ポッドキャスティングで今もネットで聴くことができます。。。と云っても、なかなか手間をとってまで聴いて頂くことが叶わないようですので、私たちのことを話して下さっている部分だけ、ここにアップしておきます。どちらも短いので、ぜひ一度、お聴き下さい。よろしく♪


pt.1 曲の紹介と聴いて下さってからの感想など。

http://soundcloud.com/chi-b/ba-le-ro-introduce-on-j-wave

pt.2 私たちのことから発展して、脱原発のことなども少し。

http://soundcloud.com/chi-b/ba-le-ro-on-radio-sakamoto


聴いて下さってありがとうございます!

引き続き、精進いたします。

…♂・♀…
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2012年09月05日

桜島は活火山!


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鹿児島はいい街でした。いい人たちでした。桜島の大自然、海、空、& いい子供たち。(ステージ前で踊って、歌ってくれた子供たちもいる。)人を育てるのは環境。人間と自然。そして生まれる音楽。鹿児島ジャズ・ストリート2012、素晴らしいイベントでした。chi-B&masta.G、心より皆様に感謝しております。Thank you! Yo! Brother!! Love&Peace. 毎週末、鹿児島ジャズ・ストリートやったらエエのに。(笑)もちろん世界中に向けてな!中国人観光客も皆おいで。

…♂…


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2012年08月30日

ふるさと話


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1973年、滋賀県大津市の駅前で、琵琶湖バレイで行われる8・8ロックデイのチラシ撒きのアルバイト。駅前でチラシを撒いていると、ヤクザ?がやってきた。『コラ!誰にことわって撒いとんねん!!』と声をかけてくる。この街は、いい。ゆったりとした何か?大阪人とは違う、ちょっとした金持ち感が街にある。喉が渇いたので、商店街の中へ。ちょっと入った右手に、くだもん屋さん(くだもの屋さん)が見えた。覗きこんでみると、カウンター。フレッシュ・ジュースを出してくれる。目の前でしぼって。まよわず入った。おいしかった。大学一年の夏、僕はオープン・チャックというバンドにいた。

数年後、LAで。大津出身のギタリストkazh(1954〜2011)、本名 浜谷和彦にこのくだもん屋のジュースの話をすると、ニコニコとうれしそうに『そうやろ!おいしいやろ。』同じ店と味が、二人の頭の中を駆け回って、笑顔になった。LA在住だったあの頃の彼の部屋でのこと。ふるさと思う心と心。

あなたのふるさとは、どんなふるさとですか。

今回、鹿児島のジャズ・ストリートに9月1日・2日に出演させてもらいます。いい店や人や、自然や音楽と、kazhの作ったバックトラックと共に。そこにkazhの姿とギターの音が、見えるはず!!

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2012年08月02日

masta.Gのレコーディング・ディレクター物語(7)小坂明子さん


(7)小坂明子さん

僕はと云えば、小坂明子さん担当。

上司から、「小坂明子だと判らんような歌にしてくれ。」と言われた。アメリカから帰ったばかりの部長が云うには、「アメリカでは、バリー・マニロウばっかり流れてた。あの曲のカバーをやれ。」あの曲とは、バリー・マニロウのI write the songsのこと。日本語タイトルは『今だから』。これは、オケを録って、歌入れ、詞(日本語)・イメージ・ストーリーを考える。

もう一曲は、『トワイライト神戸』。当時、アン・ノンなどのファッション雑誌は、風見鶏や神戸トア・ロードなどが特集されていた旅行ブーム。彼氏との思い出、神戸、ロマンチック、デート、恋のテーマで松本隆さんに作詞を依頼。作曲は小坂明子さん本人。ギターリストは小坂さんのお兄さんだったかな。彼女のお父さんは音楽家。ドラムに井上しげるさんだったか。シーちゃんブラザーズのドラムとパーカッション。それに、サックス・アンサンブルを入れた。

エンジニアとの音作り関係もあって、いい作品ができた。ジャケット写真、これも、「わからんように撮ってくれ。」との上司からの指示。浜松砂丘に行った。あの日も夏。暑かった。

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つづく。

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2012年07月31日

masta.Gのレコーディング・ディレクター物語(6)世良公則&ツイスト


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(6)世良公則&ツイスト

四国 松山のお城とチンチン電車、ネオン街に歌。児雷也、上隅信雄さんの唄は、今も熱烈なファンの人たちによってライブ等で歌われています。彼のお陰で僕はポプコンの仕事をするようになった。初めてディレクターとしてクレジットに名前が出た。

「次、つま恋に飛んでくれるか?」「行きます!」もうどこでも行ったった。

ツイストの世良公則さんは、スーツに身を包み『あんたのバラード』を歌っておられた。インタビューでは、「音楽の裏方でもいいからしたい。」とおっしゃってました。すぐ、大阪のYAMAHAの岩崎さんに電話して、彼らのデモテープ(当時はオープン・リール)を送ってもらった。部長はじめ、上司は皆、「いいネ!!でも、うちの会社ではちょっと…?」どやねん!チョットどやねん!!!!そのテープを聴いてみると、田舎くさいんです。彼らは、僕が芸大にいたとき、学食でよくタムロしてはったのを見ていたんですヨ!その彼ら、芸大の後輩が、力強く違う会社に入ってしまい、ヒットを飛ばす。とられた!!!

僕はと云えば、『あなた』の小坂明子さんを担当することになった。

(つづく)

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2012年07月18日

masta.Gのレコーディング・ディレクター物語(5)他愛もない僕の唄だけど


(5)他愛もない僕の唄だけど

さきほど、chi-Bから電話があり、2008年に松山の児雷也 のぶさん(上隅信雄さん)が亡くなられていたことを聞き、南無阿弥陀仏、お線香を立てて、レコードを飾って手を合わしています。1977年デビュー。レコード、ドーナツ盤の時代。A面『他愛もない僕の唄だけど』B面『大変御無沙汰しています』(バンド児雷也カントリー・バンド・サウンド。詞もよく、こちらをA面に!という意見を僕は出したりもした。)他愛もない…この曲は、いまも根強いファンの人たちにカバーされています。

♪淋しいのは 君ひとりじゃない。誰でもみんな 淋しいはず。他愛もない僕の唄だけど 少しは君を なぐさめられるだろう。少しは君を 幸せにできる♪

良い曲です。当時、僕は松山につくなりYAMAHA松山店の店長さん、皆さんにご挨拶に行った。そしてその後に行った児雷也のホール・ライブ。小さなホールだったが、いっぱいお客さんが入って、いいライブだった。打ち上げで、その時はわからんかったけど、彼の店で酒を飲ませてもらい、えらく気を使っていただいた。歌まで歌って下さった。

その後、大石五郎(司会者)も伴って、渋谷エピキュラスでライブ。そのスタジオで、イントロにシンセ・メロをムーグ・シンセサイザーでダビング。黄昏のオレンジ色が見えた。その次の日、ジャケット写真撮影。あの佐藤ヒデキさんと朝早くから千葉県手賀沼へ。舗装されてない道で、古いバス停があればいいのだが…車で走り続けた。バス停のある場所はみんな舗装されている。時間があったらロケハンできたのなあ、と、走っていると、あった!舗装のされていない道。手賀沼のほん横。「その辺のバス停ひっぱってくるか!?」「佐藤さん、そんなことエキマヘンがな。」夕方、いいルクスになってきた。「道の向こうから、タバコふかしながら歩いて来て下さい。」ちりちりのパーマ頭にサングラス。ラフなまっ白なシャツ。うつむいて歩いて下さい。バックの道をぼけさせて、今と違ってアナログの、いい写真が撮れた。

デザイン室に行って、手書きのタイトル文字を入れて下さい、と頼むも、「そんなの自分で書けよ!」とデザイン室長。僕と佐藤さんはデザイン室と仲悪かった。写真のトリミングは写真家 佐藤ヒデキの作品のまんま。その幅にあわせて、タイトル文字を、何回も何回も自分で書いた。夜中じゅう書いて、朝になってた。割り箸を削って、インクをつけて、書き続けた。朝、佐藤さんとミーティング。その中からの一枚をデザイン室に持って行った。彼(のぶさん)の言葉。「僕のような、松山の田舎者が売れますか?」数週間後、YAMAHAさんの力も得て、オリコンのランキングに入ったのを覚えている。

これがそのジャケットです。
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P.S.
3〜4年前、佐藤さんと電話で話していたとき、彼が「加川良さんが児雷也に会って、辻川の話しとったて云うてたよ。松山に居ったらしいわ!」と言ってくれたのを思い出してます。

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2012年06月12日

世界中の音楽ファンは、そんなもん、好きと違う!それと英語は絶対にできなアカン!


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日本のPopsが、なぜ米国および西洋音楽に入ってコラボレーションできないのかを考えていきたいです。

まず、現実に、アジアからアプローチしようとしているのはKorea&日本です。Koreaは、金をかけて、米国のプロデューサーに作曲をしてもらい、時間をかけてきびしく練習させる。けど、どうしてもできないのが英語。MCにしても、英語におけるコミュニケーションができないことがネックになっております。日本のアニメーションは、世界中に広がっているが、それは英語への吹き替えのものです。米国に住んでいた体験から思うのですが、実は韓国ミュージックはアフリカン・アメリカン(黒人)達にきらわれている。真似ばかりしやがって、というのと、LA暴動などの引き金になったのがKorea人だったからかも知れません。彼らから見ると、日本人も韓国人もベトナム人も、黄色の肌の人々はみんな一つに見えているのです。

私たちchi-B&masta.Gについて書いてみます。chi-Bは約10年間米国にいたので、英語がネイティブのようだと思われることがあります。自分で詞が書けます。コミュニケーションができます。イギリス、米国、オランダ、カナダ等、外国の人々とのコラボレーション曲作りや、彼らの曲を歌うことができます。まずお聴き下さい。曲タイトルをクリックすると試聴サイトに飛びます。

B Knows Dub
(イギリス人アーティストDarkCloudがchi-Bの作品をリメイク)

Stray Cat(We Gotta Beat)
(オランダ人リスナーとのコミュニケーションから生まれた曲)

Love Will Wait
(アメリカ人のアーティストTomの楽曲オファーを受け彼の作品を録音)
米国発iTunesでも発売されております。

Kiniro No Tsuki REMIX
(アメリカ人MC Verbal Weponとのコラボレーション)


「上を向いて歩こう」も、英語の歌詞になって、タイトルも「Sukiyaki」とされて、米国でヒットがなされたものです。○○○4○が世界に飛び火しているように報道されていますが、あれは日本人プロデューサーの金儲けの知恵によるもので、一部のアニメオタクの人種がくっついているだけです。M田S子も、久○田も、少年○○○も、ナントカ云う女二人組も同じであります。

まずは、ボーカリストは英語をメチャ勉強しないとあきません。インストミュージシャンは、JAZZミュージシャン同様、メチャ練習せなアカンのです。もちろん、HIPHOP、FUNK、SOUL、などをやろうとしている人々も、そのルーツとなる音楽グルーヴを、メチャ勉強・練習せな、話しにならんのです。ほな、サイナラ。

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2012年06月03日

天国との交信♪


この間テレビを見ていると、久しぶりに永六輔さんが出演しておられ、『東日本大震災で、元気や希望をもってと、よく僕の作った”上を向いて歩こう”を歌ってもらいますが、あの歌はそんな歌ではない。』とおっしゃっていました。歌の内容を知るということは、本当に大切なことです。英語の歌もそうです。内容がわからず、勘違い?

話は変わりますが、私は今年で58歳になりますが、この歳になるとまわりの人たちが死んでいかれます。本当にさびしく、どうしたらいいのかわからなくなります。私はそんなとき、詞を書き、歌をつくって、私の心と、亡くなった人の心をつないでおきたいのです。タイトル横のlinkをクリックしてどうぞお聴き下さい。

1.黄昏incomplete偲び草 http://soundclick.com/share.cfm?id=6996064

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私の古市の叔母を思い作りました。空の写真は僕がLAで撮影したものを、そして裏ジャケットの文字「偲びぐさ」は亡くなった私の父が書いたものを使いました。子供の頃の写真は、私の父と、そしてchi-Bの父が撮影したものをアルバムから選びました。


2.夢のつづき〜Happy Merry Christmas〜 http://soundclick.com/share.cfm?id=7171716

私の父が亡くなった時に作ったものです。


3.フライング・バード http://soundclick.com/share.cfm?id=8001961

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京都の友人torigenさんが亡くなったと聞いた明け方に作ったもの。ジャケット写真はtorigenさんが亡くなる数ヶ月前にご自分で撮影されたもの。タイトル文字は、彼の幼馴染で私たちの友人でもあるぶうみんさんが書いて下さいました。


4.Silent Prayer http://soundclick.com/share.cfm?id=9732637

chi-Bの父が亡くなった時に作りました。


5.I Miss U http://soundclick.com/share.cfm?id=11431876

トラックメーカーであり、私の大学時代からの音楽仲間であったkazhを思い作りました。このトラックもギターも彼の手によるものです。

リハーサルスタジオで練習をしたり、ライブをしていると、亡くなった人々が私たちを応援して下さっていると思うと同時に、まるで映画のように、そのフィルムは私たちを通して音になっているのがわかります。そこには、映像のように音楽が流れていくのです。思い出は、走馬灯のようにいっぱいキラキラと浮かび上がります。みんな、やすらかに…。天国に音がとどきますように。LOVE&PEACE。

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2011年12月18日

めざせ!ミュージシャン


音楽の才能がないから、とか、JAZZやクラシックに至ってはむずかしすぎてわかりません、ましてや、音楽を”する”なんて、それを仕事にするなんてバッカじゃない??形のないものをどうするつもりなんですか??いつの間にか怒られてしまう始末。音楽の大学を目指している学生たちも怒られるはず。いろんな問題があります。問題だらけです。

第一。才能?本人が自分自身にその才能があるかどうかわかるか?これは、むちゃくちゃ必死のパッチで当たり前のように努力した人間に、その門(才能)が開かれるのです。才能は努力とセンス。

第二。イイ曲と悪い曲を聞き分けられへん人間には、向いてない。これは人間のセンスの良い悪いにも関係する。

第三。解かるとか解かれへん。特にJAZZは解からん?何を言うてんのですか。わからんでもいい。JAZZは大変難しいもので、特にプレイするに至っては、アドリブの世界。しかし、難しいと思って聞くその頭が悪いのです。頭の悪いのは気にせんと、気違いのように聞いてみ。この世界を極めてプレイしようとするならば、ずっと練習して、他人のプレイをコピーして、心と音がイコールになる自由、というテクニックやセオリーが必要とされる。誤魔化すことはできない。

第四。ほんで、アンタ、音楽みたいな形のないもんで、どうやって生活していくつもりなんや?ビジネスやろうと、あんまり考えんほうが良いけど、著作権が問題やからそれをしっかり取るために、CDなり、音源が必要になって来る。メジャーなレコード会社がノッてきたらいいけど、それがないと自分自身でインディーズとしてセルフ・プロモーションをやらなアカン。制作費やらいろいろ金がいる。あとはライブで多くの人に来てもらうこと。現金収入、これも大変です。でもやるしかない。しかし、コンピューターやインターネットの時代、著作権がいい加減になって、中国などがコピーして金にする。こうなると創造(クリエイター、アーティスト)が生まれてこない。大変な問題なんです。

第五。ポップス、ジャズを勉強したいのならば、外国(北米、南米)に住んで勉強できた方がいい。あなたの考えている日本人の常識は、何一つと言っていいくらい、世界の人々のそれとは違う。色んな音楽があり、人種が居る。君が外国人に好かれるかどうかは、その音で決まる。我々は音楽一本でツレになる。他は無い。それで充分。


…♂…
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