2011年01月09日

Princeファンのコミュに登場〜(驚愕!)


3Street10.jpg


昨日も書いたとおり、新曲の「16ビートに恋した乙女の物語(英題:Funky Osaka)」の海外サイトでの人気は今もゆったり上昇中なんですが、さきほどは何とフェイス・ブックのPrinceのファンの英語版コミュニティーのひとつの管理人さんから、プレイヤーをコミュでシェアしてもいい?といきなりの連絡をもらって、こちらはもちろん顎が外れるほどのYesYesYes!!(lol)そうそう、あのkazh作のバックトラックはPrinceのFunkナンバーと共通する匂いがぷんぷんしてるもんねーぇ!さすが気づいて下さったか!と喜んでいます。このコミュには約500人の生え抜き・精鋭Princeフリークスがたむろしているから、そのうちのせめて何十人か、はたまた何百人かは聴いてくれるだろな〜と皮算用中なり。笑

サイトを覗いてみれば、数々のPrinceやThe Timeなんかのレアなビデオやコアな音源と並んで、私の作った私の顔ばっかりのvideoが並んでる…滝汗とはこのことか???あまりの光景に、いや光栄に、思わず一旦ブラウザを閉じてここに来てしまったわ。御存知の方も多いですが、私はデビュー当時からのPrince大好きgirl・う・う・う・うれしいじゃないか。kazhさん、masta.Gさん、ありがとう。応援してくれてる日本のfamの皆さんもありがとうねー。この歳になると、大概の事ではガクガクしないけど、これには流石の私もちょびっとだけ浮足立つ!で、もっともっとガンバろっと!と単純にエンジンがかかるのでありました。ONE!

…♀…
posted by masta.G at 02:15| 大阪 ☀| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月02日

ダウンロード発売曲追加されました



LateAug3.jpg


B&G NEWSです。chi-Bのブログより転載しています。どうぞヨロシク〜。LOVE LOVE LOVE!!!

いよいよ暑さもマシになって来ましたが、まだ日中はじりじりしますね。お身体の調子はいかがですか?私の方は、そろそろLIVEが近付いてきているので、軽〜くエキサイト気味になりつつおります。笑 今日は新しくダウンロード購入が可能になった曲のお知らせです。米国CBI Musicより、"Pain" "California Wind" "B-Funk Ride" の3曲が新加入です。iTunesで購入できるのは確認済みで、Amazonその他でも売り出されているはずです。"chi-B&masta.G"で探して見つけて下さい。よろしくです。

やさしい秋がもうすぐそこです。急に冷えることもあるかもしれません。どうぞお気をつけて。もしも逢いに行ってみようと思って下さったら、9月3日(金)アメリカ村サンホールへいらして下さい。きっと聞いたことのない音楽を体験していただきましょう。LOVE all over you.

…♀♂…
posted by masta.G at 00:20| 大阪 ☁| Comment(2) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月31日

歌の贈りもの -今だから-


SilverJune2.jpg


(本日のポストは、ボーカルchi-Bのブログ記事を転載しています。)

”あまりに遠く 過ぎた過去だけど 本当は 今だからわかる あの頃の二人のこと…”

気持ちを込めてそうっと歌うこと。歌の思いを音色と息にのせること。歌だけではなくて、楽器でも同じことだと思うのですが、音楽にとってはリズムや音程や声量と共に、ときにはもっとそれ以上に、大事なことなのだろうと思います。このことの大切さに気づいたミュージシャンは誰もみんな、私も、日夜それに命をかけるような心意気で音楽をやっていくことになるのですが、言葉で書くほど簡単なことではないのです。心の奥底と出てくる声は、ひとつの細い糸でつながっているかのように思え、自分の心とはいえ、自分の勝手な思惑通りにはたやすくコントロールできはしません。ある程度なら練習や経験でできたとしても、そこから先は…今の私にとっては未知の世界です。それを思うたびに思い出す、masta.Gから聞かせてもらった、あるエピソードのことを書いてみようと思います。

1970年代後半、masta.Gが東京のワーナー・パイオニアでレコーディング・ディレクターをしていた頃、歌手の小坂明子さんのレコード制作を担当したことがありました。小坂明子さんと言えば、「あなた」で一大センセーションを巻き起こしてデビューされたピアノ&ボーカルの女性歌手です。(私も中学生の時にこのドーナツ盤を買って聴いていた記憶もあります。学校の先生に「お前やったら持ってるやろう?貸してくれ。」と頼まれて、昼食のときにかかる校内放送に流れたことがありました。)豊かな艶やかな声の持ち主の小坂さんのこの曲を知らない人はあまりいないと思います。その「あなた」のヒットから数年たって、新しい曲でシングル・レコードを作ろうという仕事に携わった時のことです。

当時のワーナーの社長さんがアメリカ旅行に行った際に、何処へ行っても毎日かかっている全米での超ヒット曲がありました。ビルボード・チャートで第一位を獲得し、グラミー賞も獲ったその曲は、バリー・マニロウさんの歌う"I Write The Songs"(邦題:歌の贈り物 written by Bruce Johnston ←ビーチ・ボーイズのメンバー)。「この歌を日本語で小坂明子に歌わせたい。」…社長さんからのお達しアイデアが出されました。バリー・マニロウさんのピアノを弾きながらダイナミックに歌う姿が、同じくピアノ弾き語りの小坂明子さんの姿に重なったのかもしれません。




上司の前川ディレクターさんから、「誰が歌ってるのか分からないように作ってくれ。これまでの小坂明子のイメージを壊してくれ。」との注文もつき、さっそく日本語の詩が作詞家の手によって書きおろされました。元歌の内容は、とてもスケールの大きな歌で、歌詞の中の第一人称”私”は、イコール”音楽そのもの”という設定になっていて、バリーさんは音楽のスピリットに捧げる曲として歌っているとLIVEのMCで言っておられます。そして今回、小坂さんのために書き下ろされたカバー曲は、この壮大なコンセプトをそのまま使うことはせず、ひとりの女の子が過ぎ去った昔の恋への思いを歌う曲となって出来上がって来ました。レコーディングが始まりましたが、masta.Gはどうしても小坂さんの歌い方が気に入らない。masta.Gが特にこだわったのは、この歌の歌いだしの一定の部分。


”あまりに遠く 過ぎた過去だけど 本当は 今だからわかる あの頃の二人のこと

 淋しさと憧れが ガラスの恋つくってたの 愛する重さも知らず 落として壊れた”


何度録音し直しても、小坂さんは、それが彼女の魅力と持ち味なのだけど、明るく元気よく朗々と歌ってしまうのでした。そしてmasta.Gは、もちろんOKを出すことはしなかった。「違う、そうじゃない、この歌はそうじゃない。」と言い続けたのでしょう、きっと。ついに「君は恋愛をしたことがないんか。大事に大事にしてた大切な、綺麗なガラス細工の何かが、自分の一瞬の不注意でハッ!と手からすべって落ちて、割れてしまった気持が君はわからんか?」と言われて、小坂さんは、「できません…」とうつむいてしゅんとしてしまい、おそらく泣きだしたのでしょう。「いや。ダメです。歌わないとダメです。もう今日しか録音する時間がありません。」とmasta.Gはさらに言ったらしいです。この日は、ジャズ、ミュージカル、CMなどを多数手がける作曲家であるお父さんも一緒に来られていたらしく、masta.Gは心の中で「お父さんが止めたら、もうやめよう。」と思っていたらしいのですが、この経緯を見つめていたお父さんは、黙ってそっとスタジオから出て行かれたそうです。そこでもうワンテイク!これがmasta.GからのOKを獲得します。しゅんとして、泣いて、元気をなくした不安定で震えるようなその歌声が、切なく過去を振り返る女の子の気持ちにバッチリと重なったのでしょう。まさしくその瞬間の音がレコードになり、松本隆さん作詞の「トワイライト神戸」をB面として発売されました。今もmasta.Gの家には、このシングル・レコードが置かれていて、ときおり取り出してみては何度もそのことを口にしておられます。ジャケット写真はmasta.Gの盟友 佐藤ヒデキさんによるものです。その日その時の小坂さんの歌声を、先日youtubeで見つけました。

ima3.jpg




今もボーカリスト・ピアニストとして活躍されている小坂明子さんには、数年前にネットを通じてmasta.Gのメッセージを送ったことがあり、たいへん懐かしがっておられました。泣いたあとでもこんなに歌えることは、私は素晴らしいと思うし、プロフェッショナルだなと尊敬も感じます。この歌は最後まで通しのつぎはぎなしのワンテイクだそうです。あの、masta.Gからダメ出しを受けるときの、なんとも形容しがたい途方に暮れるような思いは、私は誰よりも知っているし、それがいかに大事なのかもわかります。多くの人たちがそうであったようにスネたり怒ったり逃げたりしなかったからこそ、この声がこうして残っているのだなと嬉しくなります。よく頑張られました!明子さん。良い歌を残してくれてありがとう。そして、masta.Gさん、この当時は20歳〜21歳そこそこだったはずですが、よく音楽を深く考えて理解して女性歌手を説得するほどであったなぁ、と改めてリスペクトの気持ちがわきます。ブルース・ジョンストン、バリー・マニロウ、小坂明子、masta.G…なんの関係も無いように見えて、実はちゃんと音楽でつながってると思うと、なんとも楽しい気持ちになります。音楽はやっぱりいいねぇ。日本語の方も英語の方も、どっちも素敵です。

もう15年も前のこと、父が入院したためにLA留学を切り上げて帰国したあのとき、母もまた入院していて、家に帰ったら私一人で。父が発作を起こして危険な状態ですとの知らせをうけて、かけつけて無事だった事を確かめたあと、暗い病院の誰も居ないロビーでタクシーを待つ間に、静かに流れる有線で、この曲のインストゥルメンタルが流れて来たことが思い出されます。心細さがあの時、やわらいで、そして「音楽が暖かい」ことを身体の中心で、嘘でなく、ほんとうに感じられたなと。いろんな体験が私に音楽を信じさせてくれるのです。自分も真っすぐに、心してやっていかなくてはと思いながら書きました。読んで下さった皆さん、どうもありがとう。

…♀…
posted by masta.G at 01:23| 大阪 ☀| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月09日

テッちゃん


Dec24_1963xxx.jpg


chi-Bは、チビは、子供のころから、たいへん父親に可愛がられていたようだ。そのお父さんも去年お亡くなりになり、チビchanもその感覚はグルーヴを(音楽を)通して体感されたと事だと思います。

chi-Bとの出会いは、35年ほど前にやっていた、今は無い、僕のライヴハウスBAGUSでのことです。その頃からだいぶん変わった人でしたヨ!西成生まれ、通天閣・ジャンジャン横丁・づぼらや・飛田・聖天さんが、彼女と父との遊び場。まるでじゃりン子チエちゃんとテツというとこかな?!

その後、彼女は、ハワイ、シカゴ・イリノイ、ロサンゼルスと留学を続け、ロサンゼルスでは東洋医学を学び、ホームレスのドラッグ中毒患者の治療の仕事をするという変わったチビ、chi-B。そこ(LA)での、黒人アフリカン・アメリカンの僕らの友達ダフィーナとの出会いを通して、アフリカン・アメリカンの文化・音楽の仲間になっていく。

この頃、僕masta.Gは、ギタリスト/トラックメーカーのkazhとともに音楽を制作。僕はハリウッドのP.I.T.でドラムを学び始める。世界中から来た夢を追いかけているミュージシャンとplayできたことは、大変プラスでした。kazhのバックトラックに、chi-Bがベースで参加。そしてvocalを入れる。chi-Bは、音楽の道へと参加するのであった。



Once Upon A Time In LA




















ボーカル/作詞/作曲/ベース/additionalキーボード:chi-B
バックトラック:kazh ミキシング:masta.G ('90年代の録音)





…♂…
posted by masta.G at 00:54| 大阪 | Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月02日

バーボン・ハウスの思い出


55yrso8.jpg


大阪 梅田に、昔、バーボンハウスというLIVEハウスがあった。もちろん、スタキンも何度も出演していました。壁一面にしつらえられた棚にバーボン・ウィスキー。当たり前ですがバンドにギャラが出た。そして食事も出た。長〜いカウンター席に、丸いテーブルがいっぱい。ウエイターもたくさんいた。盛り上がってくるとテーブルの上に上がって踊るやつはおるわ、フォーク投げるやつはおるわ、ビンは割れるわ、もう大変エキサイティングな夜がくりひろげられた。サラリーマンも、スーツのまんまでクレイジーだった。ドリンク代とかも、入り口で払うのでなく、伝票があり、演奏後には客が支払いをするためにレジに並ぶ。あの時代に、渡辺プロの中井さんに会う。ライブしていると、あの渋谷充さん(sax)が身に来られていたり、桂三枝さんが居られたり、キャッシーがいてたり、有名人にもよう会いました。

スタキンのドラムの一郎さんは、よくワンカップをポケットにかくしてステージへ。パッとドラムが止まったので見てみると、椅子から倒れてステージでゲロはいてはった。「いけまっか?」…「オ〜〜。」…またドラムに向かって叩きだす。楽しいライブはファンキーなヤツがいるもんですネ。スタキンが解散して、東京のレコード会社で働いていた僕が、仕事を辞めて大阪に帰って来て、また一郎さんとバンドの練習をしていたが、亡くなってしまった。僕が「ドラムをしよう」と心でつぶやいたのは、その時でした。

それにしても、バーボン・ハウスはおもろかった。すぐに、知らん人と友達になれた。時代はまわると云いますが、バーボンハウスのようなライブハウスができるといいのに。p.s. BAGUS NIGHT vol.2のポスター、版下ができました。ただいまスポンサー及び出店募集中!「新派 音 こころ」盛り上げようOSAKA!4月16日(金)夜7時から、アメリカ村サンホールにて。

vol2posterYellowSampleSmall.jpg




…♀…
posted by masta.G at 12:55| 大阪 ☁| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月12日

ワーナー・パイオニアの日々


55yrso3.jpg


30数年前、ワーナー・パイオニアのディレクターとして入社。その日の夜、「ペドロ&カプリシャスのバックトラックを作れ。」と云われ、一晩中かかってコピーをし、楽譜を書いて、翌朝スタジオへ。そこへいらしたのがペドロ&カプリシャスのリーダー兼フルート奏者。はじめは楽譜を見てワンテイク録って、「この楽譜、どうしたの?」と聞かれる。「きのう徹夜でコピーしました。」と答えると、「へぇ〜。歌い回しや細かい所まで書いてあってビックリしたよ。」と云われた。

スターキングデリシャスが解散した後、会社にはボケた返事をしておいて、大上留利子さんのソロアルバムのレコーディング。”タイフーン・レディー”の歌入れ。西岡恭蔵さんの作った曲。バックのアレンジと演奏は、ベーカー土居さんのベーカーズ・ショップ。僕たちは気に入っていた。歌の入っていない音を、めちゃくちゃ重たいマランツ ゼンハイザーで新幹線の車中、大阪〜東京間ずっと聴いていた。フォーク・ソングの歌い方をする大上さんに、16ビートを気にして歌って下さいと云ったら(ディレクターの仕事)、「あんたに云われたくない。」と云う。「僕は会社のディレクターの仕事をしているのです。」…大上さんは、怒ると下がらない。その後、夜のヒットスタジオに出演。プロデューサーの中井さんから、「アメリカのフュージョン・バンドStuffの前座に入れろ。アトランティック・レコードに連絡とってOKを取れ。」との命令。英語も話せないのに、アメリカにどうやって連絡する?ワーナー・パイオニアには、一人外国人のブルースさんが居た。アメリカから出張して来ている。でも会ったこともない。まずは秘書に伝える。やっとブルースさんに会えて、レコードを米国に送り、Stuffのメンバー、マネージャーに聴いてもらい、やっとOK。次は、「中野サンプラザと新宿厚生年金会館をいっぱいにせよ。」との命令。

チケットはまったく売れてなかった。ヒットスタジオに出ても反応は少ない。身内だけが喜んでるだけ。招待状を作り、重たい紙袋二つ分、中央線のそばのマンションの一軒、一軒、フラフラになるまでドア・ポストに入れる。エレベーターのないマンションもすべて配るのに、朝方までかかる。誰も助けてくれない。一睡もしないまま会場へ。入り口で見ていると、招待状を持ったお客様が次から次から来られていた。ヒットスタジオから連動したのか、ほとんどすべてが招待客。とりあえず二会場は満員。

後楽園でのStuffの前座では、メンバーは遅れてくるわ。開演時間の2、3分前、正面入り口からギターを持ったエリック・ゲイルとスティーヴ・ガッドが現れ、そのまんまステージに連れてってギリギリセーフ。それまでの間、リチャード・ティーと国分のピアノ・デュオですばらしい時間をつないだ。会社のデザイン室にステージ写真を頼むと、「自分で写せ。」もうイジメの連続。持ったことのない昔のごっついアナログ・カメラ。使い方をデザイン室のエラソウな人に教えてもらい、そのまま会場へ。タクシーを飛ばして行ったり来たり。お陰でまぐれでシブイ写真が撮れた。

スターキング・デリシャスの大阪御堂会館でのラスト映画見たいなあ。ワーナーの机の引き出しの奥にあった。”ライブ イン モクモク”も見たいなあ。これは京都・磔磔(たくたく)でのもの。

あの頃は、力いっぱい楽しんで、怒られて、いっしょうけんめい仕事をした。人の分まで。どやされても、何を云われても、大阪人といってバカにされても。普通の服を着ていても、「パジャマで来てんのか!」とかまで云われた。会社の新曲発表でも、ラフな服しかなかったので内田裕也さんの横に座らされた。中井さんは、いつもネクタイを持ってて、ダンガリーの青いシャツの上から、ポケットにねじ込んであったネクタイを締めて、大上さんの説明をされていた。楽しかった仕事の一場面です。

今も中井さんとは音楽の仕事を続けられていることを嬉しく思います。走ってばっかりやった。東京の狭いアパートに、中井さんが泊りに来られたこともあった。アベさんは、六本木の行きつけの喫茶店でいつも、「ねーちゃん、レーコー(冷コー)ちょうだい。」と云っていて、ウエイトレスが「アイス・コーヒーですね?」と云うと、「レーコーや!」「もう何回も来てんねんで。覚えてや、レーコーや。」…東京でホッとするのは、中井さんとアベさんと会ったり、仕事をするときだけだった。そして、写真家のサトウさんもホッとする一人でした。次回は、写真家、サトウさんのことを書こうか。サトウさん撮影の大上さんのポスターを、六本木の街中に貼り、多くの人々が驚いた。もちろん、会社中にも。部長はおおよろこびでした。




…♂…
posted by masta.G at 02:27| 大阪 ☁| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月05日

松本 隆さん


55yrso7.jpg


きのう、NHKのザ・ソングライターズで松本 隆さんを見ました。僕にとって大変勉強になりました。何がって?それはないしょ!松本 隆さんにはお会いしたこともないのですが、ディレクターをしていた時、電話でだけお話をし、仕事を依頼したことがありました。

当時、週刊誌で神戸が特集されていたことと、アーティストが神戸出身ということもあって、ウ〜〜と思って、神戸をテーマにお願いしたのです。数日後、すぐに詞が送られて来て、小坂明子さんの”トワイライト神戸”という曲ができました。ドラムとパーカッションは、しーちゃんブラザースのしーちゃんにお願いし、間奏のサックス(アドリブ・ソロ)を4〜5回重ねてしました。アナログ時代やったので、ぶっといマスターテープをエンジニアの島さんと途中ぶっつりカットして、サックスの間奏の小節を短くしてE.ピアノ・ソロにつなげて曲ができました。今でも、僕がディレクターとして仕事した中でも好きな曲です。どっかで聴けたらいいのになあ。もう35年ほど前のことです。

そして今も僕は音楽の仕事は続けていて、詞を書いたり、曲を作ったり、ましてや演奏もして、デザインもして、練習して、ライブ企画して、金を集めて、貧乏ヒマなし。時代や歳は関係なし!大衆音楽は大衆が決めるもので、いいものは心に残る。これこそが答え!夢のつづきは現実になっている。

4月16日(金)BAGUS NIGHT@アメ村SUNHALL vol.2 開催予定です。出演予定ミュージシャンは、opening actにハッピー・ターン。そして、74年、75年の8・8RockDayグランプリの激突モモンガpartUの矢木さん、同じくグランプリの元スターキングデリシャスの平山国次さん、北川迪太郎さん(ミッチャン)、辻川”masta.G”雅治、teerthさんの4人。キーボートに伊藤くん。ベースにシャブドーさん。大人のBANDハッピー・トリオ。そして、アングラHipHopグループのEver Greenの面々と私たちの乱入セッション。詳細はブログ等で発表していきますので、どうぞお楽しみに。ぜひ見に来て下さい。




…♂…
posted by masta.G at 02:06| 大阪 ☁| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月16日

大塚まさじ


12月11日BAGUS NIGHT@サンホール vol.1 参加アーティスト紹介シリーズ
第六弾 大塚まさじさん


実は、大塚まさじさんのアルバム『風が吹いていた』(ワーナー・パイオニア)の発売のときに、少し関わらせてもらったのです。当時、ワーナー・パイオニアと渡辺プロダクションの社長、渡辺 晋さんが「大塚まさじさんのこのアルバムはジャズだね。日本でもこの手の音楽が広がればいいネ!頑張って下さい。」とおっしゃって、アドバイスを頂いたことがあります。その後、大阪に帰ってきた私が、「BAGUS」ではじめてライブをして頂いたのが大塚まさじさんでした。初めてのライブ当日、大塚さんと糸川さんが御一緒に来られました。満員のお客さんの中に、高校を出て大学へ入りたてだったchi-Bさんも居たのでした。(笑)そして今回、大塚さん、糸川さん、chi-Bさんと同じステージに立てることは、何かの力、Something Great。ぜひ”今”を体感してみて下さい。

大塚まさじプロフィール

●1950年、大阪府茨木市に生まれる。
子どもの頃から家業の養鶏を継ぎ、牧場をつくる夢を温め続ける。高度経済成長期後半、周辺環境や養鶏業が著しく変貌していくなか、何とか夢を形にしようと家を出て、’69年大阪・難波元町の小さな喫茶店「ディラン」のマスターとなる。ここで西岡恭蔵、中川イサト、加川良等、今も交際が続く多くの人たちと出会う。ディランの常連の中から「ザ・ディラン」が生まれ、現在も継続中の大規模な野外コンサート「春一番」が始まり、店は関西音楽シーンの伝説的な場所となる。大阪の街と時代の熱気と人のエネルギーに煽られるように、いつの間にか歌い手となっていた。 ‘71年永井ようと「ザ・ディランU」を結成。シングル「男らしいって解かるかい/プカプカ」でレコードデビュー。 ‘74年の解散までに「昨日の思い出に別れを告げるんだもの」など5枚のアルバムを残す。’76年、ジャズテイスト溢れるアルバム「遠い昔ぼくは・・・」でソロデビュー。以後、「風が吹いていた」「海と空 月と闇」「STREET STREET」「アイノウタ」「風のがっこう」「一輪の花」など毎回、趣の異なるアルバムを発表し続けている。’85年 から全国ひとり旅ツアーを開始。現在も北海道から八重山まで、1年で日本を一周する唄の旅を続けている。俳優として、NHK銀河ドラマ「この指とまれ」、NHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」に出演。著書に旅のエッセイ集「月の散歩」「月の道標」などがある。





…♂…
posted by masta.G at 03:09| 大阪 ☀| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月07日

糸川燿史さん


12月11日BAGUS NIGHT@サンホール vol.1 参加アーティスト紹介シリーズ
第五弾 写真家・糸川燿史さん

Yoshi_san.jpg

「BAGUS」で初めてのLIVEイベントをした時のことでした。大塚まさじさんと一緒に来られて、初めてお会いしました。その数十年後、chi-B&masta.Gの前身”QueenB & The B-Funk All Stars”のライブに、砂川正和さんと一緒に見に来られて、もうビックリ。そして何よりもビックリが、chi-Bさんの伯父さんにあたると知り、またしてもビックリ。その後、私たちの写真も撮ってもらい、糸川さんの監督映画”レモンセッケン2”では、chi-Bさんが英語で話し、エンディング曲には「金色の月」を使って頂きました。糸川さんには、これからもチョコチョコ「BAGUS NIGHT」に出演してもらい、アートや音楽やOSAKAのことについても勉強させて頂きたいと思っています。皆様もいっしょに楽しみましょう。chi-B&masta.Gの陰のプロデューサー、それは糸川燿史さんだと、私たち二人は思っています。いつもありがとうございます。

(次回は、つい先日に出演が決まったキーボード奏者 伊藤誠さんの巻!)


糸川燿史プロフィール

1934年三重県生まれ。1950年より大阪市在住。
   
1955年より大阪の街と人々を撮りはじめる。
   
現在まで、「プレイガイドジャーナル」 JTB「旅」「マンスリーよしもと」などの雑誌や、新聞、TV、ポスター、CDジャケットなど、音楽、演劇、演芸の多ジャンルにわたり、撮影、制作を続けている。

著書  パラダイス街道 (双葉社)
    東海道38日間徒歩ひとり旅 (小学館)
   
写真集 GOODBYE THE DYLAN‖ (プレイガイドジャーナル)
    ジェーズ・バーのメモワール (プレイガイドジャーナル)
    流星シャンハイ (双葉社)
    グッバイ・ザ・ディラン‖歌が駆けぬけた! 69ー74(ビレッジプレス)
   
映像作品  砂の舟、320TRAIN、森の風景、レモンセッケン
 
デジタル映画  明日は
        東京ダンシング! アフリカ
        レモンセッケン2
        (現在、レモンセッケン3 撮影中)

最近の活動の詳細については糸川さんのウェブサイトをぜひご覧下さい。




…♂…
posted by masta.G at 01:27| 大阪 ☁| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月06日

シュウ&TAKU


12月11日BAGUS NIGHT@サンホール vol.1出演ミュージシャン紹介シリーズ
第四弾 韻シストのシュウちゃん・TAKUちゃん


Shyuu.jpg Taku.jpg

(左)SHYOU (福留アマール修一)
担当:Bass  生年月日:1978.9.9 出身:大阪府

(右)TAKU
担当:Guitar  生年月日:1982.1.6  出身:大阪府


韻シストのシュウちゃんとの出会いは、「BAGUS」でHIPHOPイベントをAfra君(ヒューマン・ビート・ボックス)とした時、デビュー前の韻シストのメンバーが集まった日でした。その後、シュウちゃんとは何回かスタジオで遊びました。メンバーチェンジしながらも、韻シストは日本を代表するHIPHOPバンドとして活動するのでした。TAKUちゃんとは、心斎橋のクアトロの楽屋で初めてお会いしました。アフロ頭の元気な人です。今回初めてステージをご一緒します。よろしくどうぞお願いします。LOVE&PEACE。楽しんで下さい。

(次回の出演者紹介は写真家の糸川燿史さんの巻!)

シュウ&TAKUプロフィール

HIP HOP BAND 韻シストで活躍する、GrのTAKU&BaのSHYOU AKA PITBULLDOGが、かねてから交流のあったMASTA.Gの掛け声の下、満を持して参戦。 HIP HOPの持つJAZZ,FUNKを吸収した独特のグルーブとムードを合わせ持つ世界観は必見!!




…♂…
posted by masta.G at 00:09| 大阪 ☔| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

Dr.KO=清水 興


12月11日BAGUS NIGHT@サンホール vol.1出演ミュージシャン紹介シリーズ
第三弾 清水 興さん


ko_0771x.jpg

数十年前、大阪ミナミに「デューク」というジャズクラブがあり、清水 興さんのベースを見たのは、そこが最初やったかな?パーカッションに大五郎さん、トランペットに唐口さん、ドラムに鎌田さん(現・桑田さんのバックドラマー等、東京で活躍)、やったと思います。その後、ナニワエキスプレスで「BAGUS」に出演してもらうことになり、そこで初めて正式に出会いました。東原力哉さん(ドラム)も初めてお会いし、その後、清水さんとは”We Are Soulmen”という、おもちゃ箱をひっくりかえしたような内容のイベントをしました。今回のイベントも、彼の力なくしてはありえないのです。そんな目でも、今回のイベントをお楽しみください。

(次回の出演者紹介は、韻シストのシュウちゃん、TAKUちゃんの巻!)


清水 興プロフィール

80年代に NANIWA EXPRESS、90年代に HUMAN SOULそしてBAND of PLEASUREを底辺から支えてきた、日本屈指のグルーヴ・ベーシスト。骨太のサウンドにスリルあふれるスピード感は、あたかもラバーバンドのように伸縮しながら、聴くものをグルーヴの世界へ誘(いざな)う。その評価は国内のみならず、世代を越えて広く海外のミュージシャンにも認められている。特にドラマーからの評価は高く、James Gadson、Bernard Purdie、Dennis Chambersらと数多くの共演盤を残している。インディーズ時代のコブクロのプロデュースをしたり、ゴスペラーズやSkoop On Somebodyのアルバムに参加するなど、ポップス界との交流も盛んに行っている。

03年には阪神タイガース公認応援歌「嵐は西から」に参加するなどスポーツ関係への交流も盛んに行っている。

現在は 土岐英史CRUISINGやKANKAWAのプロデューサー/ベーシストとして活躍すると共に、石田長生バンドや、安達久美club PANGAEAに参加している。02年夏からはNANIWA EXPの再始動も開始し、07年は結成30周年を迎え、新旧交えて3アイテム11枚を一気にリリースするなど、ますますその活動は勢いを増しつつある。09年からはbjリーグ 大阪Evessaのエンタテインメントディレクターに就任するなどスポーツと音楽の融合に積極的に尽力を注いでいる。




…♂…

posted by masta.G at 01:22| 大阪 ☀| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月04日

平山国次


12月11日BAGUS NIGHT@サンホール vol.1出演ミュージシャン紹介シリーズ
第二弾 平山国次さん

KuniOrange.jpg

スターキングデリシャスは、メンバー移動が激しかったです。増田俊郎さん(g.)、仲 豊夫さん(g.)が、初めの頃おられましたが辞められて、その後、平山国次さんが入って来ました。背の高い人で、力の抜けたプレイは、その頃から若いのに素晴らしかった。芸大の後輩にあたり、よく食堂でうだうだし、授業も受けず我々二人はリハーサルスタジオへ。両手に花(女の子)と腕組みして、急な坂道を下ったものでした。30年後、心斎橋のThe MELODY.さんによく来ていると聞き、DVD等を送って見てもらい、chi-B&masta.Gの音楽に参加していただいています。そんなこともあって、元スタキンのメンバーとはチョコチョコいっしょにライブをしたり、連絡とりあったりしています。彼のギターは、泣かせますよ&踊りますよ。人生の心のシワシワまで見えるやさしい心の持ち主です。プロミュージシャンとして尊敬しています。

(次回の出演者紹介は、Dr.KOこと清水 興さんの巻!)


平山国次プロフィール

guitarist, vocalist, composer, arranger

1975年スターキングデリシャスのギターリストとして渡辺プロダクション(ワーナーパイオニア)から19才でプロデビュー。翌年ライブアルバムリリース。以来、カルロス菅野(元オルケスタデラルス)・もんた頼命・平松愛理・コブクロ・数々のミュージシャンとレコーディング及びライブ活動を幅広い演奏スタイルを持って共にする。その他作曲・編曲・音楽講師とマルチに活動。ポップス・スタンダード・ボサノバなどソフトな弾き語りで演奏活動中。コブクロの2ndアルバムプロデュース。大上留利子・早瀬優香子・エキストリームスキービデオ音楽を作曲アメリカのラブソングアワードコンテスト入賞。




…♂…
posted by masta.G at 00:11| 大阪 ☀| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

スターキングデリシャス


rainbow music Pictures, Images and Photos


前回からの続き…

さて、スターキングデリシャスのお話の前に、1973年、琵琶湖バレーで行われた8・8ロックデイで、私たちのバンド”オープンチャック”がグランプリを取るわけですが、その日は夜中までウエストロード・ブルースバンドの人々と、京都の内緒スポットで夜中遅くまで騒いでた。翌日、上田正樹さんのサウス・トゥ・サウスのステージを見て、彼が僕らのステージを見て下さった縁で、オノ・ヨーコさんから大塚まさじさんまで出演する郡山ワンステップコンサートで上田正樹さんのホーンセクションを体験。その後、大阪にはまだライブハウスがないころ、心斎橋YAMAHAのスタジオで、オープンチャックは上田正樹さんと対バンさせてもらいました。ちなみに、上田さんのバンドは、奥田章三さん・上場正俊さん・だったように記憶しています。

さて、話は戻ってスターキングデリシャス。これもYAMAHAの岩崎さんのプロデュースで、私たちのホーン・セクションをスタキンに合体させたのでした。そのころのボーカルはイーちゃん。ギターに増田俊郎・仲豊夫・他。大上さんはコーラスしてはった。それでポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)に出演。みごと落ちました。いい曲でしたのに。その後、ボーカルが大上さんになり、8・8ロックデイでグランプリを取り、1974年、渡辺プロダクションの中井猛さんと出会い、契約。ワーナー・パイオニア、アトランティック・レーベルから発売、全国リリースしたのでした。(裏話→)ライブ・レコーディング前に解散は決まっており、あの時、最初で最後の音には、playしながら違うところでの感動があった。その後、ドラムの岩本一郎さんは亡くなり、僕は日本を脱出しLAへ。ドラム、パーカッションを勉強し、今の音へとなるのであった。

次回は、12/11(金)サンホールで行うchi-B&masta.GのBAGUS NIGHT vol.1 の内容をご紹介いたしましょう。




…♂…
posted by masta.G at 02:47| 大阪 ☁| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月15日

8・8ロックデイ


8.8.jpg


琵琶湖バレーと万博公園で行われた8・8ロックデイは、時代とマッチして、ピュアな若者出演者とプロとしてのコンサート・スタッフの心から始まっていたのでした。ある日、ジャズ・ピアニストの近 秀樹さんに誘われて心斎橋のヤマハに行くと、そこに居られたのはYAMAHAの岩崎さん。スタジオに入ると、そこにはサックスやベースやドラムの人たち、そして近さん(ピアノ)。岩崎さんは僕に「ねぇ、トランペット吹くんでしょ。彼らとジャズ・ロックバンドでホーンセクションやらない?」…そしてリハーサルの毎日。”オープン・チャック”、ふざけたバンド名やった。そして、8・8ロックデイでグランプリを取るのであった。オマケに猪俣 猛(いのまた たけし)さん(ds.)の乱入ライヴになった。。。次回は”スターキングデリシャス”。これまた、岩崎さんのプロデュースのもとで始まるのであった。



…♂…
posted by masta.G at 23:45| 大阪 ☁| Comment(1) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

いい話、悪い話、いい話。


flowerG.jpg


先日、急に大阪西区の老舗店「米忠」さんからの御紹介で、市会議員・権世幸蔵さん主催の”中央区・初夏の祭り”に出演させていただきました。CD『OSAKA』の中から、”黄昏incomplete偲び草”、”OSAKA”。オッチャン、オバチャン、約200名の皆様は、大ウケ。アンコールまで来たので、新曲”Smile 4 Me、笑ってごらん”を少しやって舞台を降りました。

大阪といえば、平松市長さんにもお会いでき、やっと直接CDを手渡すことができました。大阪市には、DVDやらCDやら、広報に送らせてもらっているのですが、何の反応もなく、さすが、どこの街も役所仕事です。Californiaのシュワルツェネッガー州知事は違うかったよ。しっかり、サイン入りの礼状を下さったよ。日本の役人は、もっとしっかりやらなアカンよ。大衆、市民の声が上まで伝わらん。まあ、そんなうっとおしい話よりも。。。

帰りのタクシードライバーのオッチャン。機材を詰め込んで、私が前の席にすわり、走り出すと、「音楽演奏したはったんですか。」「このごろの音楽はアキマヘンな。」「CDに代わってから、チャカチャカ、音が悪いでんな。」「渡辺プロダクションの時代はよかったですな。」「ジャマイカの感じでっか?」「藤井寺市はアキマヘンな。羽曳野市は、いろいろやってるみたいやけど、どれもツマラン。松原市はまだガンバットル。」「ジャズとか、テレビ・ラジオから排除されてまんな。」…どこまで、この人はいろんなことを知ってんねんやろ?と思い、家にたどりつく。おまけに、30円まけてもろた。おおきに、皆様、この日はいろんな勉強させてもらいました。ホンマおおきに、ありがとさん。

P.S.,
今、ザウンド・システム、ハッピー・トリオのヴォーカリストVIRUさんの曲を、POPな感じにしてレコーディング中。昔のナニワ・ホーンズの感じもありです。さっそく仮歌を入れて、電話でteerthさんに聞いてもらう。応えはハイテンションで、「ええがな。これは売れるよ!!」POPな感じのchi-B&masta.Gの新曲、乞うご期待。ただいま、バックコーラス制作中。もちろんchi-Bの英語の絡みも制作中。

★悪い話
発売するまで、インターネットでは流しません。大手レコード会社、メジャー・レーベル、今までどんだけネタをパクッたら気すむんや。売れたもん勝ち?ええかげんにしやなバチあたるで。パクってる君、歌ってる君、心も身体もガタガタ・ボロボロになるで!しっかり心痛めて、曲作りしいや。君らは才能がないねんから、とっととヤメた方がいいよ。どっかでお会いできるのを楽しみにしています。ホメゴロシの刑やなあ。

☆いい話
先日のイベントで、笑福亭扇平(しょうふくてい せんべい)さんにお会いしました。楽屋でいっしょうけんめい練習をしておられました。きちっとした態度、空気を読み取る感性。今流行の漫才師の浮かれた感じとは、まったく違う。笑福亭仁鶴さんの孫弟子さん。さぞかし、キビシイねんやろな。どんなんかなぁ〜と思いました。音楽の世界でもそうやよ。ビシッという世界が、もう少しあればいいのになあ。


chi-B&masta.GのMyspaceはこちらです。


…♂…
posted by masta.G at 01:57| 大阪 ☔| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月26日

高校受験しっぱい


私は高校受験をシッパイしています。音楽の高校への進学でした。父に話すと、「お前、なに考えとんのんや。」「ピアノもないし、それにうちの家系にそんやヤツはおらん。そんな仕事、できるもんやない。」…あんのじょう、高校は行けず、心に桜まいおどる中、近所の人目を知らんふり、知らんぷり。それでも夢追いかける。まっすぐ前を向いてた少年でした。

この曲(知らんふり知らんぷり)は、「黄昏incomplete偲び草」を発表しても、世の中からの応えが思うよりも少ないという状況の中できた曲でした。



…♂…
posted by masta.G at 00:11| 大阪 ☀| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月16日

プロモーションは、人の心と心をつなぐアナログだった。


heart Pictures, Images and Photos


ミュージシャンにとって、プロモーションも大切な仕事です。ラジオ、テレビ、インターネット等、人と人とのつながりが、すべてを決めるもので、このデジタル社会の中にあっても決定権はやっぱり、裏方、スタッフの皆さまや、それを聞き見てくださる皆様の、人の心=アナログであると気づくことが暖かく、うれしくホッとする瞬間であります。

FM局で私たちの曲が初めて流れたのは、実は地元大阪ではなく、なんと九州のFM大分でした。CD『OSAKA』をリリース後も「金色の月」をプッシュしていただき、ありがたいもんです。ディレクターのKさんは、以前大阪に住んでいらしたそうで、私たちの音楽をあたたかく見守って下さっています。東京J-WAVE(坂本龍一さんのRadio Sakamoto)や、NHK-FM(インディーズ・ファイル)、大西ユカリさんのお陰でFM大阪でも流してもらったり、ジャングル・ライフYさん、Hさんのお陰でFM COCOLOでも流していただきました。ついこの間は、地元FMちゃおのSさんのお陰でインディーズ・ナウで「Osaka」と「黄昏incomplete偲び草」を流していただき、本当にありがたく思います。

テレビの方は、ケーブルTVのJ:COMのディレクターIさん、Kさん、Sさん他のお陰で、「ええやん!」と「J★song!」「アリったけArio!」などなどの番組に出演させていただきました。最近、音楽番組の少ない中、ラジオ・テレビからふっと私たちの曲が流れ、聞いて、見ていただいた人たちの心にそっと触れられることを心の底からありがたく、幸せに思います。

5月24日(日)、アメリカ村サンホールにてライブをします。僕たちの出演時間は夜7時ごろです。ファンの皆さまに特別前売り取り置きチケットを、受付カウンターに預けてあります。先着20名様に限り、「chi-B&masta.G(ちび&ますたじー)を見に来た。」と云って下されば、前売り料金にて入場できます。(2,000円+ドリンク代別)よろしく。イベントは午後3時にオープンしています。時間のある方は、お早めにいらして下さい。

そして…楽しい○秘ビッグニュース!

この夏ぐらいに来日ビッグアーティストをむかえて京都にてライブ・パーティーをする予定です。ぜひホームページやブログをチェックしておいて下さい。あなたの幸せは、私の幸せ。あなたの悲しみは、私の悲しみ。最後に、故 岡部伊都子さんの「心のふしぎをみつめて」より…

お母さんというお母さんが、若者という若者が、人の子という人の子のすべてが、人間の「個の幸福」と世界「全体の幸福」を一つにするためのたたかいの、「あと一人の力」になろうとする時、不可能と思われる「大きな石」を動かすことができるにちがいありません。




…♂…
posted by masta.G at 02:18| 大阪 ☁| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月12日

僕は見た。ギラリと光るサングラスの奥の目を。


smileFront1small.jpg OkabeFront1.jpg


5月31日まで、立命館大学国際平和ミュージアムで、岡部伊都子回顧展をされています。約20年くらい前だったか、羽曳野市で岡部さんの講演がありました。岡部さんの幼馴染である私の父と行きました。講演が終わって、岡部さんと父と私の三人で私の店BAGUSのシャッターを開けて、お茶を飲んでいただくことになりました。

岡部さんは私に、「音楽をやっておられるのですか。どんな音楽ですか?」と聞かれ、私は「アメリカの音楽です。」と答えると、ギラッと怖い目に変わりました。すかさず私が「アメリカに住んでいるアフリカ人の音楽で、ジャズやR&B、ソウル、と云われる音楽です。黒人の人たちは、差別の中でも素晴らしい音楽をされてます。」…という話をすると、そのキビシイ目は一変して、ぽわ〜〜っと店を見渡され、ダウンライトから出ている線を気にされたのか、「あれは何ですか?」と聞かれ、「あれは、ライブの時にステージを照らすためにしてあります。」…その目は、ゆっくりとされていました。”アメリカ”の言葉には、サングラスの奥にある目、ギラっと光らはるで。叱られそうな厳しい感じでした。もう二度とお会いできないのは残念。回顧展に行かれた方、感想お聞かせください。

夜中、「心のふしぎをみつめて」という岡部伊都子さんの本を読んでいます。岡部さんの生き方に感動し、岡部さんが竹富島に寄贈された”こぼし文庫”にも思いを馳せ、岡部さんに贈る曲「♪Smile 4 Me,笑ってごらん」をchi-Bと私(masta.G)で作ってみました。ホームページのMusic1のページで聞けます。CDは現在ライブ会場にて手売りしていますが、近日中に東心斎橋The MELODY.にて通販できるようにします。ぜひ手に入れて、じっくりとお家で聴いてみて下さい。

chi-B&masta.G Myspaceはコチラです。


…♂…
posted by masta.G at 23:56| 大阪 ☁| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月16日

chi-B&masta.G 未来マル秘話


じわじわと音楽を演ってきました。私たちchi-B&masta.Gは、外国アーティストとコラボをしてみたりなどしているうちに、米国インディーズ・レコードから英語の歌を、米国でリリースしようという契約の話が舞い込んできました。chi-Bの英語の詞が米国のアフリカン・アメリカンのプロデューサーの心に伝わったのでしょう。じわじわ何年もつき合って、曲を決め、chi-Bの詞とメロディーがアメリカを含めて、世界に飛び出すのを夢見ています。オーストラリアでも注目。音楽業界専門誌An'RのインディーズCDに載せてもらえるでしょう。これは世界中へ送られます。みなさん応援よろしく。

chi-B&masta.Gのマイスペースはコチラです。



…♂…
posted by masta.G at 02:20| 大阪 | Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月19日

LAで見たムッシュさんとドラマーJ.G.さん


aasMAP.jpg

chi-B&masta.G LIVE INFO
1月24日(土)Ain't She Sweet 8時オープン・8時半スタート
前2,000円 当2,500円(ド別)ゲスト:Teerth、平山国次
1月20日昼〜LIVE前日まで電話予約受付ます。前売り料金でOK!(+ド代)
072-954-3258 バグース・レコーズ
留守番電話にお名前・枚数・連絡先を録音して下さい。
当日は入口で名前を言って入場して下さい。


ムッシュかまやつさんが、70歳を迎えられたそうです。おめでとうございます。今も現役でLIVEをされている。えらい人やなあと思います。大阪では毎年、堺のFUZZでLIVEをされていますが、いっぱいなので行ったことがありません。LIVEの後は白浜に行かれると聞いたことがあります。コレは本当かどうか?それより、マル秘話ですよネ。

LAに住んでたとき、ムッシュさんのLIVE、サンタモニカにあるライブハウスに出ておられたので、夕方わりと早い時間から見に行きました。その時は、ギターに山岸潤史さん、キーボードに難波さん、ベースは?忘れた。そして、ドラムにJ.G.さん。J.G.さんには日本で女性を紹介してあげて、何回かデートしたみたいです。この子は手紙までもらっていて、それを訳してくれと頼まれたのが実はchi-Bやったのです。LAで彼らのLIVE。日本でのLIVEとは違って、お客さんも5名から10名ぐらいで、サビシ〜イ感じ。ムッシュさんもトイレの前でチョコンとすわって出番をひとり待ってる。かいらしい人やなあ、という感じでした。用があってワンステージで帰ったのですが、裏のパーキングで、J.G.さんは僕らを見て、どっかで見たような??と、ボーっと見ておられました。手をふってバイバイしたら、バイバイしておられました。僕はしっかりJ.G.さんのベースドラムのフットワークをチェックできたのでした。

しかし、LAではローカルな、びっくりするようなJAZZ、FUNK、R&Bのミュージシャンやドラマーが実はごろごろいて、すごい。目からウロコ。そこにいつも自分自身のアンテナを立てて、照準を合わせていないと。HIPHOPのラッパーも、車にもマイクがセットしてあり、もうガンガンの音でクレイジーな人ばかり。ヒューマン・ビートボックスはギャング達が道端でやり始めたのがroots。もちろんマイクなんてない。どれもこれも日本とは音楽のルーツが違う。そんな世界の中で警察はムチャしよる。ピストルで撃ち殺しよる。この私も、手錠はめられ、振りまわされた。左手首の神経が切れた。治るのに5年近くかかった。この間も、アメリカで黒人が白人ポリスマンに殺された。ロドニー・キングの時はLAで暴動がおきた。そこら中で街に火がついた。ホンマにヤバイ危険なアメリカを知ってるかい!?

〜B&G NEWS〜


1月20日夜11:30からFM cocoloでchi-B&masta.Gのコメントが流れます。
Check it out♪


chi-B&masta.G Myspaceはこちら。





…♂…
posted by masta.G at 02:31| 大阪 ☔| Comment(0) | マル秘話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。