2012年07月12日

masta.Gのレコーディング・ディレクター物語(5)YAMAHAポプコン )


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(5)YAMAHAポプコン

「辻川君、松山へ行ってくれ。」と上司から頼まれた。松山千春?イヤ、四国の松山だったのです。「飛行機のチケット、とってあるから、行ってくれるよネ?」「ハイ!」出張手当も出るし、OK!OK!!

YAMAHAポプコン(ポピュラーソングコンテスト)出身の、児雷也というアーティストの仕事でした。音源を聴かせてもらう。タイトルは『他愛もない僕の唄だけど』。黄昏のオレンジ色が見えてきた。ジャケットのアイデアが出た。写真家、佐藤ヒデキさんとミーティングする。僕のアパートは杉並区西永福町、彼は永福町。大宮神社をぬけると彼のアパート。彼は、僕にとって恩人です。僕の部屋の壁には、今も彼の作品がかけられております。

タイトル文字は手書き、イントロは、ムーグ・シンセサイザーの音でイントロ・メロをのせよう。決まった!四国、松山空港、海の波と滑走路が見えてきた。

(つづく)

これより下、chi-Bからの付け足しです。

この記事の原稿をGさんから渡されて、未だ聞いたことのなかった、この児雷也の歌『他愛もない僕の唄だけど』がネットの何処かで聴けないものかと色々探してたところ、この曲を作詞・作曲・演奏されていた児雷也の”上隅 信雄さん(愛称ノブさん)”が2008年12月に亡くなられていたということがわかり、真夜中でしたがmasta.Gさんに電話で伝えました。Gさんにとって、大変想い出のある、大切な方だったのでしょう、すごく泣いて話せなくなってはりました。私はこのドーナツ盤のレコードを何回もGさんの家で見ていました。御本人の歌は、レコード・プレイヤーが無いために聴けないままですが、素敵なジャケットは目に焼き付いています。ノブさん、そして児雷也のお話、次回も続きます。思い出話がたくさんあるようです。次回もどうぞ読みにいらして下さい。よろしくお願いします。ノブさん、4年後になってしまいましたが、二人して御冥福をお祈りしています。良い歌をありがとうございます。

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posted by masta.G at 02:26| 大阪 ☁| Comment(1) | ディレクター物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月10日

masta.Gのレコーディング・ディレクター物語(4)音楽づくり、今・昔


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(4)音楽づくり、今・昔

いつの間にか僕は、ディレクターとしてスタジオ・ワークの便利屋になっていたように思います。上司から頼まれた仕事は、すべてやってのけた。名前がクレジットされたのは、ほとんど無かったけれど、4、5本の仕事を同時に行なった。睡眠時間は、一日3〜4時間。契約ディレクター、6万5千円の手取りでは、生活なんかできず、残業、休日出勤、スタジオからスタジオ。土地勘のない僕は、自分がどこにいるのか、もうわからなかった。

スタジオ・ワークで一番大切なのは、エンジニアとのコンビネーション。時間内で、いかにアーティストを頂点に持っていくか。

音楽の作り方は変わった。いいのか?悪いのか?当時の歌謡曲の作り方はこうだった…女性週刊誌、ファッション雑誌(この頃はAnAn、Non-No、ポパイ等)に載っている悩みの相談コーナーにも目を通す。女性の悩み相談の手紙には、おいしいフレーズがよくある。漠然と、そんな中からテーマを決める。そんなテーマやストーリーを、作詞家に依頼する。3〜4日で作詞が上がってくる。2〜3パターンの詞を作曲家に渡す。また、2〜3パターンの曲が上がる。手直しをして、まとめあげる。デモテープをつくる。しかし、いい曲、いいスタジオ・ワークをしても、売れることはない。売れる、売れないは、プロダクション、レコード会社が、力と金をかけるか。初版、イニシャルを多くあげることに尽きる。ばくちの世界です。どれだけ金をかけさせるかが、ディレクターの仕事の第一だったのです。金をかけて、枚数が増えると、会社の人間は、イヤでも動くわけで、世の中に出回ると、売れるわけなのです。日本の芸能界は、ばくち打ちが基本にあった。

その後、フォーク・ソングや、YAMAHAポプコン等によって、シンガー・ソングライターと呼ばれる制作費のあまりかからん、業界にとっては安上がりの時代が来るとともに、素人の音楽に光があたるようになる。いいのか?悪いのか?この流れは、今も続いていて、若者たちだけの音楽が主流になるのです。若者たちは、有名になりたいとか、売れたいとか。まやかし音楽が増えるのである。ディレクターとは、本来、作品づくりに力を注がないといけない。勉強して、ルーツを探るべく、世界中の音楽を聴きまくって、世界とつながらないとあかんのですが、日本の業界、音楽、人間は、これから先、ますますダメになるんやと思います。新しい道は、マイルスが示したように、ヒップホップ、ジャズ、アナログとデジタルの融合にあります。生き残るには、ミュージシャンが巧くなるしかないのです。ミュージシャンのスキルを上げることです。田舎者の業界東京人、レコード会社、ラジオ・テレビ局、みんなもう、潰れてると思っています。そして、1日も早く、若者たちは、その世界に見切りをつけて、アーティスト自身、オーディエンス自身が気づき、本当の音楽の心とビートが、身体から湧き上がるのを期待しております。

(つづく)

「辻川君、松山に行ってくれる!」松山千春??イヤ、四国の松山でした。

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2012年07月07日

masta.Gのレコーディング・ディレクター物語(3)音楽業界人間


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(3)音楽業界人間

当時、レコーディング・ディレクターには、大きく分けて5種類の人種がいたようだ。

第一種。大手プロダクションから流れて来た、グループ・サウンズのメンバーだった人間。スーツにブーツ、けったいやで。ほんで外車。煙草にフィルターパイプをわざわざつけて吸いよる。タレントに手をつける。けど、ヒットメーカー・ディレクターとして大きな顔して遅刻出社。まあ、ディレクターと云うのンは、夜中にスタジオで仕事しよるから、しょうがない。要するに、ボケボケなわけで。ゴルフに行きよる。健康のため、と云って。いや、違う。日曜日に家におったら、お母ちゃんに怒られて、浮気がバレそうになるかもしれんからかもしれません。。。ひらがながつづく。。。

第二種。ジーパンにブーツ。皮ジャン。洋楽かぶれ。アメリカ好き。音楽のことは一番知ってるつもり。女好き。酒を飲むとブッ飛んでしまう。第一種と第二種の共通点の”ブーツ”。しかし、このブーツにも違いがあり、第二種のブーツはカントリー・ブーツ。それに、皮のショルダー・バッグ。皮が好きなんやろか。スキンスキ?

第三種は、第二と違い、スニーカー。

第四種は、営業や宣伝からやって来た人。服装は、まあコウム員くずれ。音楽のことは知らへんが、営業や宣伝の人間とツレなので、数字を上げるのと、地方とつながってるので、ヒットをつくるチャンスを持っている。

第五種。演歌、民謡のオジイちゃん。気の弱い、ニクマレン人種。

…と、云うわけで、私は入社一日目、スーツで、さっそく徹夜で、二日目からは、第二種と第三種の間にいることにする。それ以来、スーツは日の目を見ることがなくなった。実は、ブーツは第二種にもらった。履かんわけにはいかんやろ!w。

以上、レコード会社の邦楽制作部の人種別の特徴でした。

(つづく)

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2012年07月06日

masta.Gのレコーディング・ディレクター物語(2)夜のヒットスタジオ


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(2)夜のヒットスタジオ

22歳で始めたレコーディング・ディレクターという仕事。入社一日目から会社に泊まり込み、徹夜明けのそのままスタジオ・ワーク。楽譜を手に、ドキドキしながら待っていると、ペドロ&カプリシャスのリーダーが来られました。『よろしくお願いします。辻川です。』楽譜を手渡して、レコーディングがスタート。

リーダーが渡された楽譜をポンと譜面台に置き、リラックスした空気の中でチューニングが始まる。僕の書いた楽譜のキーは合ってるんだろうか?トランペットはB♭、アルトサックスはE♭、テナーサックスはB♭、さてフルートは?C??…僕の書いた楽譜は、バックトラックと合ってるんやろか???ドキドキしている間に、TAKE1が始まり、一時間もかからないうちに二曲があがり、ホッとしていると、録音ブースの中から、

『ところで、この楽譜、誰が書いたの?』

間違ったかな!?…『僕が書いたのですが…。』

『すごいネ、君!歌い回しの細かい所まで書いてあって助かったよ。』

うわぁぁ〜、ほめられた!徹夜明け、頭はボーとしていたけど、本当にうれしかった。

その後、フルートをうすくバックトラックにのせて、エンジニアとバランスを取ってOKを頂いた。『お疲れさま。』あっと言う間のレコーディングだったけど、お陰でスタジオワークが好きになるのであった。この日のことから、エンジニアさんからも『辻川くんは仕事がやりやすいよ。』と噂され、上司からも、いろんなアーティストのスタジオワークに、サブディレクターとしてスタジオに入っていいと言われ、そらもう、いろんなスタジオワークに入り込み、仕事をしたのであった。

その夜には、”狩人”(かりゅうど)の担当ヒットメーカーディレクターに誘われ、生の音楽テレビ番組『夜のヒットスタジオ』に立ち会うことになる。夜8時からの生番組だった。『へぇ〜、レコーディング・ディレクターって、スタジオだけの仕事やないんやなあ〜…。』作曲家Tさんとディレクターは、もちろんスーツ、それにブーツ(?)、に外車(?)、ほんでフランス料理(?)。あ〜、芸能界やのう。徹夜明け、頭がぼーっとした夢のまんま、ひとりタクシーに乗って、西永福町のアパートへと帰る僕であった。

(つづく)

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2012年07月04日

masta.Gのレコーディング・ディレクター物語(1)五番街のマリーへ


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(1)五番街のマリーへ

22歳の頃、東京の大手レコード会社のディレクターとして契約した。出社第一日目、着なれないスーツに身を包み、一番スミのデスクに座るやいなや、上司が云う。

『ペドロ&カプリシャスのLPを出すんだけど、2〜3曲、カラオケを作ってくれ。明日、うちのスタジオ空いてるから、エンジニアとミュージシャン押さえて。それと作曲者に連絡を取って。君、楽譜書けるのか?芸大で音楽を勉強してたんだよネ!』

ハイ。

『じゃ、楽譜も用意しておいて下さい。明日、スタジオ頼んだよ!』

…てな具合で、”五番街のマリーへ”、”ジョニーへの伝言”とりあえず2曲。すぐに電話。エンジニアを押さえ、作曲者に連絡。スタジオ・ミュージシャン事務所に連絡。内容を伝えてミーティング。歌メロをフルートで薄く入れることにする。それは、ペドロ&カプリシャスのリーダーに吹いてもらうことにする。

この出社初日の夜、僕は会社でひとり、ギターを借りて歌メロを事細かく楽譜にした。レコードをかけ、歌い回し、グルーヴ感を楽譜に書き写す。出来上がったときには、もう朝になっていた。

(つづく)

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